専正池坊は昭和5年諸泉祐道によって創流されました。初代家元、諸泉祐道(明治13年〜昭和25年)は、若年より茶華道において抜群の才能を発揮し、生涯、華道と茶道の道を歩むことになります。
専正池坊の活動は多方面にわたりました。
初代祐道は、昭和8年8月、当時としては新しい試みである流の機関誌「大道」を発行。
また、新しいいけばな(投入・盛花)に速くから注目し、昭和12年に「投入盛花教本」を著しました。これは初心者の手引き、および教授者の参考となるように記述された小教本でしたが、その内容は、当時の盛花、投入花に清心な気風を盛り込んだもので、草木の特性を生かした風韻豊かな諸作品は、いけばなの神髄をとらえたものとして高く評価されました。
祐道はこの新しいいけばなを、古典花とともに重視し、「帝国投入盛花宗家」として全国の門下に広めました。また、礼道、煎茶道を取り入れ、「小笠原流煎茶、礼法」宗家を家元内に置きました。以来毎年1回、全国代表者会議と専正池坊全国選抜大花展を開催する一方、各地に支部を開設し、全国的な地盤を着々と築き上げました。祐道に賛同した流内の教授者による団結と努力の結果、専正池坊は驚異的な発展を成し得たのです。
二代家元を継承した諸泉祐正は、帝国投入盛花宗家を専正池坊と一体化し、投入盛花を現代花と呼んで古典花と二本立て指導を行うなど、流の発展に寄与しました。
三代目家元諸泉祐陽は、伝統花の継承に努め、かつ、英国滞在の経験を生かし、当時としては非常に珍しい新しい、ロイヤルフラワーアレンジメント部門を創設しました。
ロイヤルフラワーアレンジメントは典型的なヨーロッパのフラワーアレンジメントの亜流ではなく、多分にいけばなの手法を用い、ヨーロッパの花より遥かに少量の花で、美しく華やかな花を作り出したのです。
またそれと同時に、ヨーロッパのフラワーアレンジメントと日本の立華の類似点を見い出し、フラワーアレンジメントの色彩の美しさと立華の足もとの美しさを融合させて「彩花」という新しい花形を創造しました。
さらに「一枝一花」という、植物の美しさを充分に鑑賞できる簡素な花形も発表しました。
これらの花形は多くの門弟の賛同を得、専正池坊の地盤をさらに確固たるものにしました。
祐陽は伝統花である立華や生花にも新風を吹き込み、いけばなの現代花に尽力しました。
現在、四代目家元、諸泉頼子(雅号祐園)は、創流当時の進歩的精神を受け継ぎ、当流の古典花を継承しつつ、時代に合ういけばなを熱心に研究し、発表しています。各地で今日的な花の紹介を次々と精力的に行っています。
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